闇市のキャットウォーク 森貝光子一代記 【16】
1歳上の官僚エリートと「本物の恋」
雪国育ちのお転婆だけに、湯沢でスキー三昧。ゲレンデを颯爽と滑る光子に恋したのは、『官僚たちの夏』に登場する通産省若手エリート。光子は黄変米で体調を崩し、赤倉で静養中にエリート君の鳥鍋の手料理でほだされる。でも、収入が違いすぎてプロポーズを断ったのだが……。=敬称略、一部有料
第Ⅲ部おそるべき君等の乳房4
失恋したことは?光子に聞いてみた。
モデルになりたてのころ、バス停で出会った男のエピソードを光子は打ち明けた。
「隣に立っていた男性が、背の高い、顔が長い感じの素敵な紳士でした。いい洋服を着ていて、じっと私を見ているんです。私は服の仮縫いの用事があったんですが、バスが来ないのでタクシーを拾ったの。そうしたら、その男性もタクシーで追いかけてきた。タクシーを降りると、彼が追いついてきて『お名前は何とおっしゃるのでしょう。私はこういう者です』って名刺をくださった。T商会とかの社名で、貿易商社の常務だったわ。そう悪い人ではなかろうと思ったら、『明日でも一緒にお食事はいかが』と誘われた。『はい』とご返事して、翌日、食事とおしゃべりをしたら、また明日も食事をしたいって誘われたの。あのころ、外で食事できるなんて、私たちには考えられなかったから、すごく儲かっている会社なんだろうと思ったんですけどね」
車で100万円踏み倒され
その後も折にふれてデートしたが、男性が「自動車を買えばもうかりますから、森貝さん、お金があったら幾らか出して一緒に買いませんか」と持ちかけてきた。運転ができないからと断ると、「いや、僕が運転してあげる」と強く迫ってくる。お互いに仕事が違い、まさか彼を運転手代わりにはできないと思ったが、「いや、大丈夫、大丈夫」と引かない。やむなく10万円とか、15万円とか、小出しに渡してきっちり100万円を貸したという。
彼はそれで車を買ったが、自分で乗り回すだけ。「車であちこち走りまわって、仕事がうまくいったから、また食事に行きましょうと、いけしゃあしゃあと私を呼ぶ始末なの」。トヨペット・クラウンが登場する(1955年)以前の時代だが、よく聞けば、当時の新車の代金は100万円もしなかった。
だが、光子は借用証書も貰っていない。体よくカネをまきあげられたのだ。
男は「すぐ返します、すぐ返します」と言いながら、会うのが間遠になってくる。友だちに相談したら「あなた、騙されたのよ」と言われた。そういう男は世の中にいくらもいて「いい男だからって付いていくのはバカよ」と叱られた。
困って勤め先の貿易会社に電話をかけたら「もう会社は辞めました」。とうとう100万円を踏み倒されて、泣き寝入りしたという。でも、風の便りにその男は、癌に罹って間もなく死んだらしい。
鉢合わせの恋人にバケツの水
男性不信に陥るのも無理はない。あけすけに面と向かって「光子さん、何人の恋人がいるの」と聞いたのは、モデル仲間の香山佳子だった。
「一人もいないわ」
「そんなのありえないことよ。恋人は人生の花だもの、持つべきじゃない?花束は多いほうが楽しいから。私なんか恋人が5人いて、月火水木金と順番よ」
これには光子も驚いた。鉢合わせしないのかしら。香山が打ち明けた。
ある冬一番の寒い朝、彼女の家の玄関の前で、男が2人喧嘩していたという。
「この家の家賃は俺が払ってるんだから、彼女は俺のものだ」
「いや、こっちこそ彼女の40万円の服の半分は、俺が月賦で払ってるんだ」
「ふん、こっちは家賃全額だ」
そんなことを大声で言い合っている。隣近所に全部聞こえて、恥ずかしさにいたたまれない。
「で、彼女、おもしろくないからって、台所からバケツに水を汲んで、2人にばっとかぶせたんですって。大寒の寒いときですよ。たまたま一人は『明日来られないから今日、一応話をしにきたんだ』と言うし、もう一人は『先週の金曜日に来られなかったから今日、話にきた』と言ってるの。偶然一緒になって、別の男がいるのがバレたのね。彼女のほうは『ぶっかけた水が路面で凍ってた。アッハッハッ』なんて笑ってるのよ」
さかりのついた牡犬に水をぶちまけるようなものだ。なかなかの妖女である。男はみんなお金を絞り取られていく。
「和製オードリー」のしたたかさ
女同士でも危うい面があった。
「コッちゃん、コッちゃんって、いつも私の手をなでるの。『ちょっとコッちゃん、寒いから、足あっためて』なんて、ベッドに入ってくるんですよ。危ないから私は追ん出すんだけど、そういうふうな気質があった人ですね。男でも女でもすり寄るの。でも、自分は男の人にはもう全然感覚がないんですって。女性のほうが楽しいって」
1954年、映画『ローマの休日』が公開された。スクリーンの妖精、オードリー・ヘップバーンの清楚な美貌と、彼女のファッションが空前の人気を呼んでいた。香山佳子が「和製オードリー」としてもてはやされるようになる。
香山はのちにウィンクパールという会社を始めて女社長に収まり、伊勢の真珠で一山あてた。ただ、その頭のよさは、光子とは質が違っていた。
「モデル代を平気で横取りするようなこともしたのよ。お友だちが電通の役員の息子さんで、慶応出身の人だって言うの。『私と仲がいいから、大丈夫、モデル代の集金はあの人に頼みなさいよ。あとで私が取ってきてあげる』と言うのよ。そんな経験は私になくて、わからないけど彼女に頼んだら、いつまで待っても来ないのよ。彼女に聞いたら『ああ、あの人は大阪に変わったから』と話をそらすの。でも、結局、もらったモデル代をその男と半々で分け合っていたことが分かった。でも、そのまま泣き寝入りだった」
渡る世間は鬼ばかりか。
トンネルの彼方、「雪国」の恋
そのころである。光子に本物の恋が芽生えたのは。
1953年から1954年にかけての冬だろうか。女性ばかり4人で新潟県の湯沢にスキーに行く計画を立てた。夜行で行って2、3泊、また夜行でトンボ返りする手筈だ。ところが直前になって、友だちみんなが風邪をひいてしまう。やむなく光子は交通公社に切符を返しに行く。窓口で出会った3人組が、ぜひその切符を譲ってくれという。
光子は単身でもスキーに行きたいと内心思っていたから、渡りに船だった。
「じゃあ、お譲りしますから、私も仲間に連れていってくださる?」
3人組の一人が、のちに通商産業省の事務次官になるエリート官僚だった。残る二人は物価庁の石川浩三とハルミ夫妻である。
通産省の国際派と国内派の葛藤を描いた城山三郎『官僚たちの夏』で、この通産省エリートは国際派のエースとして登場する。実年齢より二年早く、東京大学法学部に入った秀才中の秀才「片山泰介」である。
巻頭、「ミスター通産省」の主人公、風越信吾秘書課長(のちの次官佐橋滋の仮名)が、肺を病んで特許庁に出向している牧順三(のちの次官で資源派のドン両角良彦の仮名)の職場に足を運ぶシーンがある。その帰途、共済組合のテニスコートで執務時間中にテニスで遊んでいたのが「片山」なのだ。
「おうっ、おまえは」
風越は、大きな声を出した。男はうるさそうに顔をふり向けたが、その顔がたちまち笑顔になった。〔中略〕
「ごらんのように、テニスをやらせて頂いております」
童顔で、にこにこしていう。愛想がいい。まるで呉服屋の番頭のようであった。
「しかし、今日はまだ……」
とがめにかかる風越の言葉の先をくみとって、片山は、答える代りに頭を下げた。〔中略〕
「体を鍛えておかなくちゃいかん、と思いまして。若者よ、体を鍛えておけ、と」
てれかくしのように、歌の文句を冗談めかしてつけ加えた。
若き「片山」の人を食った態度を城山は活写している。
「赤紙」も免れて国際派
伊藤隆東大名誉教授らが2004 年に行ったインタビューによると、「片山」は1923年2月に東京・広尾に生まれた。光子より1歳年上である。父は大蔵省専売局長を務め、典型的なエリート官僚一家だった。
長兄はのちに日本銀行に入り、次兄は外交官になった。「片山」は太平洋戦争が始まる1941年に東京帝国大学法学部に入り、1943年に高等文官試験に合格、同年9月に繰り上げで大学を卒業した。徴兵検査では第三乙、学徒動員は免れる。